2011年5月11日水曜日

大震災直後の文庫

今日は5月11日、そうです。あの東日本大震災からはや2か月が経っていました。今さら震災のことを書くのもなんですが、やはりいちどは気持ちの整理も必要なのではと思い書くことにしました。被災された方々には簡単に言葉をかけてはいけないような悲惨な状況です。被災者は勿論のこと、被災地から遠い私ども誰にでもそれぞれの震災の鮮明な記憶があります。大地震、大津波、そしてまだまだ収束にはほど遠い原発被害と思うことは胸が張り裂けるくらいあり、これからの人生の考え方が全く変わってしまったという人も多くいますが、今日はバンビぶんこだよりの名のとおり文庫の話題にかぎりたいと思います。

地震がおきたのが11日の金曜日、次の水曜日の文庫をどうするかが問題でした。次々に延期、中止になるイベントの情報のなか、子ども相手の文庫を開いていいものか・・・文庫連のMLにも危険だから中止、幼稚園も休んでいるので中止と中止情報が入ってきて、心ある人はやめる方が安全という雰囲気が強くなっていました。。

でもこの日は引っ越して行ったYちゃん姉妹がわざわざ文庫に来てくれる最後の日でした。

もう一つインターネット情報サイトの取材も入っていました。私はYちゃんのお母さん、インターネットサイトの記者さんの動きにまかせることにしました。実際不特定多数の利用者でその日に誰が来るかわからないうちのような文庫では「お休みします」と利用者にお知らせするのは至難の業なのです。もし途中で危ないようだったら帰ってもらおうととにかく開くことにしました。

全く普段通りに開いた文庫は、いつもどおり後半に向かってどんどん子どもたちがやってきました。もちろん話題は地震のこと、でも普段と全然かわらずに文庫は開かれ、おはなし会はすすめられていきました。記者さんはその盛況ぶりに驚かれた様子、「こんな時にも開いて待っていてくれる人がいるんだ」とえらく感動してくれたようです。それは私にとって想定外?の感想でした。

あまりに使われすぎた未曽有という言葉は使いたくないけれど、こんどの震災は年齢、経験にかかわらずそれぞれの人がほとんど経験したことのない恐ろしい体験だったのでしょう。被災者の方々には申し訳ないけれど、私たちみんなが落ち着かず、どうしようもない不安な気持ちを抱えて誰かといたい、誰かと話したい、この異常な体験を共有したいと思ってしまったようです。こんなとき開いていた文庫は一時的な避難所よろしく、みんな夢中になってはなしていました。それでも文庫のおはなし会は全く普通に進められ、Yちゃんの最後の日ということもあり、いつもより盛りあがりました。

私はこの日文庫を開いて良かったと思いました。たまたま余震もなく、本当にラッキーだったのです。この日は終わってからいつにない疲れを感じ、説明のできない高ぶりが残りました。